霊界・宗教・人生について 宇宙船「地球号」札幌総合研究所 根本問題研究班

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根本問題研究 第一章 (一)「善と悪」について 根本問題研究班 4月11日(日)2021  

こんにちは😃みなさん

根本問題研究班ブログにようこそ。

前回のテーマは、「霊的健康について」でした。

今日のテーマは、「善と悪」について、です。

 何が、「」であり、何が「」かという事ですが、どう「定義」するかで、その人の生き方が、ずいぶんと違ったものになるでしょう。「天国と地獄」「罪と恥」などとともに、宗教的観念が、大きく影響するでしょう。また、思想、主義等にも大きく関わりあるところですね。

 結論から言いますと、「善と悪」を決定するためには、(あるいは、その定義を決定するには)、基本的考え方、基本的思想の土台が、必要となります。すなわち、結局のところ善悪の判断基準は、自分が正しいと納得して思っていることを中心として考える、という事になります。

それゆえに、大きく分けると、

1、宗教的善悪、思想的善悪を土台として、絶対善の存在、あるいは、本人が信じる何かを中心に考える。確信的。自主的。自動的

2、周囲の意見に左右される。時代、時の権力者からの強制ゆえ仕方なく従う、もしくは、信じる。強制的、強要的、脅迫的。無理強い的。他動的。

3、無関心。知りたくない。どうでもいい。関係ない。と、なります。

 ぞれぞれの特徴としては、

1、においての絶対的善悪観普遍的善悪観は、信仰的、信念的、思想的な主軸があって、そこから決定されます。善悪の決定基準が、自分以外の絶対的何かであり、それゆえに善悪観も絶対的なものとして信じます。しかし、基本的には、自由に離脱、転向、変更できるものなので、結局は、本人次第となります。

2、流動的善悪観制限的善悪観は、時代や時の支配者の考え方に納得して決定されます。周囲の動向によって、仕方なく信じている場合もあれば、盲目的に信じている場合もあれば、納得して信じている場合もあります。どの場合でも、やはり本人次第、ということになります。

3、無関心などは、普通、周囲の動向に流れてしまいます。なんせ無関心で、どうでもいいので。

 そういうことなので、人間から出発する善悪観は、本人次第なのです。

 各国の善悪観も各宗教の善悪観も、一つになっている訳でもなくて、さまざまな宗教、思想、主義を土台に、民主主義世界では、多数決で、社会主義共産主義世界では、トップダウンで善悪は決定される傾向があります。王政の場合は、なぜか、トップダウンであり、社会主義共産主義と同一なのが、興味深いところです。

 日本では、盲目的に「政教分離」という言葉がが教えられますが、、本来、「政治」とは、「(まつりごと)」をもって「(おさ)」めると記述しますので、「政教分離」は、どうかな?と考えてしまいます。宇宙船「地球号」札幌総合研究所の見解としては、本来の意味の中で、行われて欲しいと願っていますが。

 また「(まつりごと)」の漢字も分解すると「」しい、「(父性)」あるいは、「」しい「(ことば」と考えると(「母なる大地」に対して「父なる天(太陽等)」などと表現されます。を「」として、を「」としている神話体系は多く、ギリシャ神話やマオリニュージーランド)神話や米原住民神話などにみられます。特に、一神教の世界(ユダヤ教キリスト教イスラーム神道等)は、宇宙船「地球号」の乗務員(現在は、74億人強)のうち、約2/3をしめます。約11億人の信者数を持つ「ヒンズー教」も一神教と言えなくもありませんが、最近は、微妙ですが、善悪観とは違う話になりますのでこのくらいで)すなわち、天の父のことば(波動、エネルギー等)によって、治められるのかな、と考えたいですね。

 まとめますと、善悪は、人によって異なりますが、人間からみた善悪」は、人数分だけありますが、もし創造主、唯一神一神教の主神が、存在した場合、その主神からみた「善悪」は、主神が、「善」と認めたものが「善」であるでしょう。そして、時代や宗教や国家体制、そして何より「個人」の考え、見解にかかわらず、「絶対的な善」として確立、定義されるでしょうね。全人類にとって平等な判断基準なんだけどなぁ。「1m原器」のように。

それでは、また。お元気で。次回は、「罪の文化、恥の文化」の予定です。

根本問題研究班 班長 長谷川ゆう

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